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ひまわりが咲くと どきどきするね

便乗したくてウズウズしてた担当遍歴ブログ!
関係のない話もちょいちょい挟みつつゆるゆるっと書いたので適当に流しながら読んでください♡




(※前置き長め)


母がeighterだったこともあって物心ついた頃から私の生活にはいつも当たり前のようにジャニーズがありました。その頃の記憶はこれっぽっちも無いけど言われてみれば子守唄代わりにジャニの曲聴いてた気がしないでもないなあなんて(なわけ)


そんなこんなで小さい頃からジャニヲタ英才教育を受けていた私ですが、あろうことか!あの頃はJrはおろかデビュー組でさえ興味がありませんでした。




そんなヲタクのヲの字もなかった私にある日突然運命の出会いが訪れます!!(やっと本題)




向井康二
出会いは約9年前、私が小1(6歳)の頃。
愛知県民になりたての時。(知らんわって思ったそこのアナタ)(実はこれめちゃめちゃ重要)
母の影響もあってエイトのバックで踊ることの多かった関西Jrの存在はもちろん知っていたけど、何人かの顔と名前ならなんとなく知ってる。そんなレベルでした。


ところがある日学校でクラスの子に関西弁をからかわれ
「もういと学校行かない(-_-)」
なんてへそを曲げながら少クラを見ていたら


「あれ?なんか見たことない人達がいっぱいいる」


始まったのは皆さんご存知 関西JrにQ。
親とエイト以外では久しぶりに聞く関西弁にあっという間に釘付けになった私の目を引いたのは、一緒にいるお兄さん達と比べるとまだ少し高い声で耳がチャームポイントだと話す若かりし頃の向井康二さん。



ビビっときました。



この瞬間、私のジャニヲタ人生が幕を開けました。



血は争えないとはよく言ったもので
それからは母の持ってるDVDや雑誌を見たり、
ライブに連れて行ってもらったり、、、
ヲタク というよりひたすらきゃっきゃしてました。


それから長いこと茶の間だったので初めて行った関西Jrのコンサートは13年の全ツ名古屋。
めちゃめちゃ楽しかったことだけは覚えてます。(雑)


私異常事態レベルに記憶力が悪いので、気付いたら楽しかったな〜って感想とか大まかなこと以外忘れちゃうんですよね…もうほんと何度映像化を望んだことか…


まあそんなことは置いといて、それから16年の始めくらいまで向井担としてヲタクしてました。



林真鳥始めその他諸々
いや何やねんそれって思った方。
分かります。私も何書いてるのか分かりません。
この時期はいわゆるフラフラ期というやつで、特に降り先もないまま降りた私は手持ち無沙汰になり、その結果色んな人に手を出すという超迷走期。恥ずかしい。そしてこの頃DDに目覚めます。


まとくんが代表枠の理由は降りかけの時にラキセで見たラブクリのスーツ真鳥くんがすこぶるかっこよかったからです。(単純)



浜中文一
今も私が尊敬してやまない教祖様。(某西畑風)
どうして文一くん担になったのかは自分でも全く分かりません!
でも文一くんの好きなところなんてずーーっと言えるからきっとだいぶ前から相当好きだったんだろうなと思います。うん。
男の人を綺麗だなって思ったのも文一くんが初めて。
私もいつかあんな素敵な大人になりたいなって
ヲタクというより信者です。ほんとに。
この頃の口癖は「センキューJAPAN!」
隙あらば日本に感謝してました。




こんな感じで約3人ほど渡り歩いてきて、今は奥村くんに落ち着きましたが、最近自分でも引くほど関西DDが凄い。関西Jrみんなだいすきです。
そもそも関西弁に感じた親近感からジャニヲタになったのでご覧の通り関西一本でここまでやって参りました。東京は絶賛お勉強中です。岸くんの沼はとてつもなく深そうなのでとりあえずまだ眺めてます。(危ない)

こんな私ですがこれからも仲良くしてくださると嬉しいです( ◜ᴗ◝ )
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!